見識とプライド


今日の練習でもお話ししましたが、ニューイヤーコンサートの私はカルロス・クライバーのように指揮をするというよりは、踊ることに徹しようと思っています(笑)。
今日は楽員と話していて、2つの面白いことに気がつきました。
一つは「ゲネプロに出られない人が、本番に出るのに違和感を感じる」というものでした。
正直にいえば、私は規則に厳格な人間なので、ゲネプロに出ないで本番に載るという音楽的な非常識を許したくはないのですが、では、そこには本質はあるでしょうか?
うちの楽団は技術だけを追求しません。演奏会に出るためだけに練習しているわけではありませんし、演奏会だけ体裁を整える楽団でもありません。
1年間一生懸命練習して来た人が、ゲネプロの日だけ仕事が入ったとしたら、それ故に演奏会に出るな!とは口が裂けてもいえません。
しかし、それはあくまでも楽団の仕組みの話です。
楽員には社会常識や、了見、見識、矜持というものがあるはずです。ゲネプロに出られないので楽団に迷惑がかかるから、辞退する。という考え方はあるでしょうし、またはゲネプロには出られないけど、だからといって演奏会を辞退することでさらに楽団に、同じパートの人に迷惑がかかる、という考え方もあるでしょう。
どちらにしても、最終的に決めるのは「自分」で、楽団ではありません。
もう1つ。「できないから、気分が悪い」といった人がいました。
そら、悪いでしょう(笑)。
しかし、その本人のくだらない(あえていいますが)ちっぽけなプライドのためにすべてを投げ出すことで自分は成長できるのでしょうか?私はそうは思いません。
うちの楽団は出来ないことを責めたりはしません。
しかし、上達しようとしない人、頑張らない人とは一緒に音楽は出来ません。そんな人と関わっているだけ時間が無駄だからです。
くだらないプライドは捨てることです。また、プライドを持つならそれは、人に向けるのではなく、練習に向けるべきです。
そして自分で「出来ない」と決めつける人は、その段階で脳が萎縮して、自己能力の向上がストップしてしまいます。何歳になってもそれは変わりません。
前述の2つの点は、楽団ではどうしようもありません。
あくまで個人個人の問題、自己責任の範囲だと私は思います。

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About NO Masaharu

元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。

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