大人の部活 オーケストラの草野球

年の瀬も押し迫ってきました。ものすごい寒波がやってきているようですが、みなさんお元気でしょうか?指揮者のひともぢです。

年末なんで今年を振り返ろうと思ったんですが、危うく2020年を振り返ると書きそうになるくらい、今が何年なのかよくわからなかったし、今年21年は緊急事態宣言のせいで、練習が半分しかできないという、うちのオケにとって壊滅的な一年でした。

しかし、10月に緊急事態宣言が明けてから、順調に見学者、入団者が増えて、来年の話をすれば鬼が笑うと言いますが、笑ってもらって結構!きっと21年は良い年になると思います。

いま、楽団として一番力を入れているのがインスタライブです。

https://www.instagram.com/bpo2006/

peingという質問機能を使って、twitterでみなさんから寄せられた質問に土曜日のお昼に10分程度お答えするライブを毎週やっています。

最初の週こそ数名同時視聴者がいたんですが、その後数週間は大体1名の方に向かって語りかける形になりました。(再生回数としては50回ぐらいは見てもらえているようです)。年内最後のライブでは4名の方が見てくれていて、温かいコメントもいただけましたが、質問も毎週コンスタントに寄せてもらい、大変ありがたいことだと思っています。

楽員が音出しをしている時間を利用して、10分のライブをやることを通して、アマチュアオーケストラの実態を知ってもらえればなと思います。

質問内容も、時には鋭いものがあり、図らずも本音が出る楽しい内容になっていると思います。来年はますますコンテンツ充実させたいと思います。

さて、この前もらった質問にも関連するんですが、うちのオーケストラは長らく「大人の部活」を標榜しています。大人が集まって、部活動をやるように、趣味の活動を楽しもうという意味ですが、もう一つ「オーケストラの草野球」という言い方もしてきました。

多分、過去に似たようなエントリをしたこともあると思いますが、我々は楽器はプロが使っているようなものを使っています(値段は違いますが)。そしてプロが使っている楽譜と同じ楽譜を使って演奏しています。

しかし、技術的にはプロには遠く及びませんし、初心者主体の楽団なので、数多あるアマオケの中でも下手くそな部類であることは間違いありません(実際に日本一下手くそでもいいんです。そのことにはこだわりはないので)。

ただ、土曜日に仲間が集まって、一生懸命練習をすることを目的にしている楽団だから、上手か下手かはどうでもいいんです。もちろん上手になろうと思って練習しますが、プロだって楽器持って1ヶ月は初心者で下手くそだったわけです。

現在どの位置にいるかは、その人それぞれなんです。でも、オーケストラが楽しいんです。

エラーしても、三振しても草野球が楽しいのと一緒です。中には勝つことだけが楽しいという人もいるし、いていいんです。でも、負けても野球がやりたいという人も否定されるべきではないんですね。

最近、友人に教えてもらったAMAZONプライムの番組で「プロ野球そこそこ昔ばなし」という番組があります。

みなさん、それほどプロ野球に興味がないかもしれませんが、私が子供の頃は小学生の憧れの職業の第一は不動のプロ野球選手だったんです。

今年、大谷翔平のおかげで随分と野球に注目が集まった年だったと思いますが、私は昭和のプロ野球が好きなんです。

あ、話がずれましたが(いつものことだし、わざとやっている節もある)、この「プロ野球そこそこ昔ばなし」のコンセプトが「往年の名選手達が草野球のテンションで思い出話を繰り広げる同窓会系野球バラエティ」なんです。

草野球というのはプロ野球とは違いますが、楽しいものであることはみんな知っているんです。プロ野球やメジャーリーグの価値観を草野球に持ち込む大人はないんですね。

ところが、オーケストラはなぜか音楽アカデミズムが跳梁跋扈していて、下手な人は上手な人に虐げられて、肩身の狭い思いをし続けるわけです。それが嫌になって楽器を止める人も多いと聞きます。

文京フィルは「真剣」です。真剣ですが、下手くそでもいいじゃないかというオーケストラです。オーケストラの草野球です。

来年はこの文京フィルが久しぶりに演奏会を行います(コロナが落ち着いていれば)。もし見学に行こうかどうか迷っている人は、twitterを見ていただき、Youtubeを見ていただき、毎週土曜日のインスタライブを見てください(次は1月8日です)。きっと、どんな楽団かはすぐにわかってもらえると思います。

話の長い音楽家

12月に入りすっかり寒くなってきました。お風邪など引いておりませんでしょうか。指揮者のひともぢです。

TVのクラシック番組は古くは「オーケストラがやってきた」という名番組があり、今でも続く「題名のない音楽会」があります。オーケストラがやってきた、は山本直純さんが相当に企画に加わっていたであろう、空前絶後のバラエティ感覚で、多分後にも先にもあれくらいのクオリティの番組は出てこないのではないだろうか?と思います。

題名のない音楽会は、出光興産の一社提供で本当に頭が下がるんですが、企画をやっている人が、面白がらせようとこねくり回すのが玉に瑕。この辺は山本直純さんくらいの大局感を持った人ではないと難しいのだろうな、と思います。

NHKでは古くは「N響アワー」が名番組だったのですが、1時間という縛りを勝手に設けて、大曲が演奏できなかったので、発展的解消されてしまいましたね。

私が見ていた頃の司会者は作曲家の芥川也寸志さんが司会者で、芥川也寸志さんといえば「パイプの煙」シリーズが音楽家のエッセイとしては嚆矢であるといまでも確信しています。有名人の本は8割以上がゴーストライターによるものなんですが、芥川也寸志さんは講演も面白くて、一度だけ聞いた講演会ですごく強い印象を受けて、それからパイプの煙シリーズを読みました。

その後の司会者の指揮者の岩城裕之さんも、大変話の面白い方で、さらにその後の司会者の作曲家の池辺晋一郎さんの印象はお若い方にもあるのではないでしょうか?

N響アワーは、その後ららら♪クラシックという番組に引き継がれましたが、そのあとが現在の「クラシックTV」になったわけです。

私は、音楽業界全体に蔓延する、容姿差別には敢然と立ち向かいたいので、そもそも容姿の良い音楽家にはへそ曲がり的に一家言あるので、司会の清塚信也さんなんか、お喋りなだけの男芸者だと思っていました(大変失礼)。

しかし、興味のあるテーマの時にだけ見ていると大変に面白く、すっかり清塚さんのファンになり、最近では必ず録画して見るようになりました。

先週のクラシックTVでは清塚さんのコンサートの様子をやっていましたが、演奏と同じ時間だけ喋ると聞いて、私は即座にさだまさしさんを思い出しました。

私が小学生の時に「精霊流し」「関白宣言」をヒットさせた、さだまさしさんのファンが私の周りには多くて、私があまりに興味を示さないものだから、彼のラジオやFMで流された彼のコンサートの様子などを聞かされました。

さだまさしさんは落研にいたことがあったはずで、とにかく話が面白いんです。さださんのコンサートでは「では曲に行きます」というと「えー!」と声が上がるほどだと聞いたことがあります。

そこで私は気がついたんです。いい音楽家は話が面白くて長いんだな、と。

そして、大きく反省しているんです。

私も話が長いことでは、人後に落ちない自信がありますが、私の場合、話が面白くないから評判が悪いのだな、ということに思いあたったのです。毎週土曜日にやっているインスタライブもいまいち視聴者が伸びないんですが、それもきっとわたしのはなしがつまらないからなんだな、と合点が行きました。

ということで、これからスコアの勉強に使う時間を、落語の勉強に費やそうと思います。

……いや、それはまずいか。

気の利く人、利かない人

こんにちは、すっかり寒くなってきましたが、今年はみかんとりんごを食べて風邪と戦っていこうと思っています。指揮者のひともぢです。

アマチュアオーケストラを趣味の活動として続けていくには、ただ単に音楽好きな人が集まって楽器だけをいじっていれば良いわけではない、という点で非常にややこしく面倒なものです。

毎週練習をするには、練習会場の確保というのが欠かせないわけで、みんな楽器は演奏したいけど、会場確保のために働くのはやりたくないし、できればやらないで済ませたいと思う人が多いのも、人情としてはわかります。

メンバーが完全に固定ならば、リクルート活動もしなくていいわけですが、オーケストラのように大人数の組織は、どうしても楽員募集の活動もしなくてはなりませんし、演奏会をやるとなると、演奏会場確保から始まって、宣伝や、当日の進行など、ひとイベントやるだけでやるべきこと、やらなくてはいけないことは山のようにあるわけです。

入団すると強制的に係を割り当てられるというオーケストラも多いようですが、趣味の活動なのでみんなが公平に分担するという意味では民主的なのかもしれません。

文京フィルでは、強制的に割り当てることはしないんですが、基本的にはやれることをやって楽団に貢献、できないことはやらない。というポリシーで運営しています。もし楽員の中で誰もやらなかったら、それは誰もやりたくない、できないのだから、やらない。ということにしています。

結局は、楽員の中で、働く人と働かない人というのは、はっきり分かれてきて、特にベテランになればなるほど、「自分は何回もやった」という思いがあるのか、働かない傾向があります。

ここまでのエントリは多分、以前にも書いているんですが、最近思うのは、気の利く人と利かない人がいて、気の利かない人は合奏もあまり上手にできない、ということに気が付いたのです。

仕事をやってくれる気持ちはみんなあると思うんです。しかし人によって仕事の完成度というか、達成度に違いがあって、何を目的に仕事をしているのかでいうと人によって大きな違いがあります。

本当に細かいことに気が付いて、相手の立場に立って楽団の仕事ができる人がいる一方。厳しいことを言えば、言われたことに答えるだけで、その質問がなぜ発せられたかには全く思いが至らない(ように見える)人や、一つのコマンドを与えられたら、そのことだけしかできない人もいます。そしてそういう人の合奏は……。推して知るべし。

今日、言いたいことは趣味の活動だから、仕事のクオリティを上げましょう、という話しではなく、一つのことだけを考えていては合奏はできないし、どちらかというと自分の主張ではなく、自分の音が届いた相手がどう思うのかを考えて合奏をしないと「気の利かない人だな」と思われるんだろうと思います。

オーケストラなので、一人で演奏することはほとんどないわけです。自分の音が誰に届いて、それを聞いた人がどう思うのか?これを考えながら合奏するだけで全然違うと思うのです。

入団面接で話すこと

おはようございます。指揮者のひともぢでございます。

先週の土曜日は楽団初のインスタライブを行いました。より多くの人に楽団のことを知ってもらうのが目的ですが、双方向でコミュニケーションが取れるという点が魅力で、今のところ、TwitterやInstagramに寄せられた質問に答えたり、お悩み相談に応えるようなことをやっていこうと思います。

インスタライブは、楽員が音出しをしている時間にやるので、あまり長時間はできないんですが、音出し時間はもう一つ「入団面接」の時間でもあります。

文京フィルは楽器さえ持っていればどんな人でも入れますが、見学者と楽団の双方が納得してから入団してもらうために、入団申請書を提出してから4回出席すると、入団面接になります。

いままで、入団面接で「落ちた」人は一人もいません(それ以前にルールを守ってもらえないとか、挨拶をしてくれないとかで、見学辞退された方はいますが)。

面接で楽団から話していることがありますが、どうも、入団してしまうとそのことを忘れてしまうようで、今日はそのことについて書いておこうと思います。

この楽団の考え方のうち重要な3ポイントについて必ず全員に話をしますが、一つ目は「インターネットで集まった楽員なので、考え方や、大切にするものやことなどは、全員バラバラで、共通の「常識」のようなものはありません。」ということです。

これはどういうことかというと、この楽団のやり方や考え方みたいなものはあります(あとで説明します)。しかし「自分が思っている常識」とそれは違っているし、そもそも人間が40人も50人もいる団体で、その「常識」が同じだということはない、という当たり前の事実なんです。

しかし、人は、特に年齢を重ねると、自分の信じてきた常識が社会常識で、それを守らない人を「非常識」と判断しがちです。最近聞いた言葉に「正義なんてなくて、「俺の正義」があるだけだ」というのがあります。まさにそれなんです。

自分のことが正しいと思っている人は、それを他人に押し付けがちなんですね。それはあなたの正しさで、あなたの常識で、あなたの価値観なんです。否定されることは絶対にないですが、それを他人に強要することもできないんです。

価値観や常識はバラバラであることが大前提。だから話してくれないと、理解できない。これがうちの楽団の一番最初の出発点です。

先ほども書きましたが、その一方で楽団が連綿と続けてきた考え方や価値観はあります。それは守っていくので、自分が正しいと思うこととはずれが必ず生じます。

2つ目のポイントは、そうした「ずれ」が生じた時に、うちの楽団は「出席回数の多い人の意見を重くみます」ということです。

この楽団は、いろんな意見があることを否定しません。いろんな考え方があることの方が面白いとも思っています。そして、それは他人に表明することで、他人が理解できるので、「言わなくても常識だ」というのは通用しません。

いろんな意見があることは良いことですが、楽団で何か行動するときに、いろんな行動をすることはなかなか難しく、一つを選ばなくてはならないという場面が出てきます。その時に、全員の意見を採用するわけにはいかないから、何かを選ぶ時には出席回数の多い人の意見が採用されます。つまり、「あなたの正義は通らないこともある」んです。

このことを入団面接の時に全員に伝えているんですが、楽団に長くいると、どうもそのことを忘れてしまい。自分と考え方が違うのでやめます。とか、自分の意見が通らないのでやめます。という人が出てきます(ひともぢが間違っている。という人多し)。

楽団と100%考え方があっていれば、それはそれで幸せだと思いますが、現代社会において何らかのコミュニティにいて、自分の意見が100%通ることなんてないんです。楽団創設者の私でさえ、意見を曲げられることがあるくらいですから。

ちなみに3つ目のポイントは、趣味の活動なので、入団が早いか遅いかとか、年齢や性別などは関係ないということです。うちの楽団は入団の時に、年齢も聞きませんし、性別も聞きません。音楽に関係ないからです(ただし、緊急事態があって病院にかかるような場面があるので、生年月日はお聞きします)。

年上が無条件で偉いというのは、多分儒教の影響だと思うのですが、先に生まれただけで偉いなんていうのは馬鹿げています。すべからく他人は尊重しなければならないのであって、歳の上下は関係ないです。もちろん性別なんてどうでもいいことです。

趣味の活動ですから、みんなフラットに平等です。ただし、しつこいですが、うちの楽団では出席回数は重要視します。先に入団していても全然練習に来ない人より、後から入っても練習に参加している人の意見が重くみられるのです。

最後にまとめてポイントを書いておきます。

1)意見や考え方は全員バラバラが当たり前。だから言わないと他人には伝わらない

2)多様な意見があることを良しとはしますが、何かを選ばなくてはいけない時は、楽器の上手い下手ではなく、出席回数を優先します。

3)楽団歴や、年齢、性別、国籍、楽器の上手い下手、そんなものによるヒエラルキーは認めません。他人はすべて尊重しなければならないし、重要なのは出席回数です。

これがうちの楽団の「価値観」です。

そろりそろり

おはようございます。指揮者のひともぢです。

緊急事態宣言が明けて今日で4週間。昨日までずっと前週比で感染者が減っており、今のところ明確なリバウンドは起きていません。

考えてみると、感染者が増える時というのは、目に見えて棒グラフが伸びて、ある段階で「緊急事態宣言」が発出されるから非常にわかりやすいのですが、収まる時というのは、どうなんでしょう?

私はなんでも始める時には、終わり方というのを考えるようにしています。アマオケを作り始めた時、このオケは100年続くことが目標だから、私が死んだ後も続くことを目指していますし、死んだ後なのでどうしようもない、というものです。

しかし、例えば乗っ取りにあうとか、反対に楽員が壊滅的に少なくなるなど、続けられなくなるパターンは何種類か想定していました。幸い、私の手で解散を選択しなくてはならないような状況にはなっていないので、ホッとしているところです。

さて、例えば天然痘はWHOが撲滅を宣言しましたが、私が知る限り、人類が撲滅できた感染症は天然痘だけだと思います。そしてこの新型コロナウイルスの感染症ですが、撲滅はできないでしょうから、「いつの間にか収まっていた」という状態になるものと想像しています。

私は、この冬で感染者がそれほど増えずに収束に向かうパターンと、この冬にリバウンドしてもう1年付き合うパターンと2パターンを想定しています。

リバウンドした場合は、ワクチンや治療薬や医療の稼働率などそれぞれの指標を見ながら付き合っていくことになると思いますが、結局来年の冬が来るまでは警戒を解くことができないでしょうから、羹に懲りて膾を吹く状態にならざるを得ないと思うんですね。

収束に向かうパターンとしては、まず12月にみんなが恐る恐る騒ぎ始める。もちろん自粛を続けるひとも一定数いるでしょうし、マスクを外すことはできないと思いますが、小規模の忘年会などが実施されて、イベントも正常化していくでしょう。

1月になり、2月になっても、感染者が増えなかれば、3月、気温が高くなってくる頃には、完全に収束となるというのが私の読みです。

ということで、文京フィルとしては、来年5月の演奏会は正常に実施できることを願いつつ、例えば、弦楽器のプルト弾きも再開し、運営委員会も慎重に再開しと、一つずつ確認しながら進めていこうと思います。

ただ、油断大敵。ちょっとのミスで全てが水泡に帰すことは胸に留めておこうと思います。