夢中になれるもの

今日は、最近思った事を書き連ねてみます。
「昔は良かった」と思うのは意味が無い。という話を聞きました。例えばうちのオケはわずか3年ですが、随分とメンバーも変わってしまいました。楽団創設時は、毎週練習終わりの食事会も20人近くが参加してくれて活気があったんですが、最近は7~8人でこぢんまりとやっています。
「昔は良かった」というのは簡単ですが、果たして本当にそうなんでしょうか?
私はそう思いません。楽団創設時の混沌としたエネルギーは勿論、今は無いですが、多分変革の時期なんです。この時期、うちの楽団に対して興味を持てなくなった人は去って行くでしょうし、その代わりに新しいエネルギーが充填されるわけです。
人間は過去に生きる事は出来ないし、目は前に向いてついています。「継続は力なり」ですから、私はとにかく何が何でも続けて行きますし、過去を良かったと振り返る事は絶対にしません。
さて、みなさんは何か夢中になっているものはありますか?彼女や彼氏や子供なんかがその対象の人もいるでしょうし、楽器に夢中になっている人もいるでしょう。
アントニオ猪木氏は「馬鹿になれ」と言っていますが、私は夢中になるという事は馬鹿になる事だと思っています。そして、今のうちのオケに欠けているのは、「練習に対して夢中になること」なんだと思っています。
例えば、今度の演奏会は通常の演奏会ではなく、ニューイヤーコンサートです。華やかな演奏で観客を楽しませなくてはなりませんが、そのためにはまずは自分たちが楽しまなくてはなりません。
いくら演奏が難しくても、テンポが速くても、とにかくその与えられた条件の中で楽しむ事です。逆に楽しくないなら辞めた方がいいと思いませんか(笑)?
言い方を変えると、ニューイヤーコンサートはみんな馬鹿になりましょう!通常指揮者というのは絶対に馬鹿にはなれません。なれば演奏が乱れるからです。
しかし、今度の演奏会。私は馬鹿になります(キッパリ)!
さて、皆さんは「感覚を磨く」という事について注力していますか?感覚を磨くにはやり方はいくつもあるんですが、究極的には感覚を磨くという事脳を鍛えるという事になります。
だから脳トレみたいな事は、絶対に無駄にならないと思うのですが、日常生活でも、感覚を磨くためにやっておいた方がいい事があります。
それは、すごくシンプルな考え方です。「単一のものばかりに触れない」ということです。例えば、毎日ハンバーガーばかり食べている人は段々味覚が鈍ってきます。
時にはそばを食べたり、中華を食べたり、色々な味を楽しむ事によって味覚は磨かれて行きます。
音楽も同様です。クラシック音楽ばかりを聴いていては(そんな人はいないと思いますが)段々感覚は鈍って行きます。私はベートーヴェンが好きでなんですが、ベートーヴェンばかりを聞くということはしません。
ハイドンやバッハを聴く事で、ベートーヴェンが彼らから何を吸収したかを感じ取る事が出来ますし、シューベルトやブラームスからはベートーヴェンの影響を感じる事が出来ます。
また、ビートルズもレッド・ツェペリンも聞きますが、オアシスやコールドプレイも聞きます。
トランペットを聞くなら、ナカリャコフやモーリス・アンドレなどのクラシック奏者も聞きますが、当然マイルス・デイビスやクリフォード・ブラウン、ウィントン・マルサリスなんかのジャズ奏者も聞きます。
小野リサのボサノバも好きですし、東京スカパラダイスオーケストラのスカも聞きます。J-popだって聞きますし、そうやって多様な音楽を「注意深く」(ただ漫然と聴いていては駄目)聞く事で、音楽の感覚が磨かれるのだと思います。
ベートーヴェンの頃は彼らのやっている西洋音楽の他に、民族音楽くらいしか無かったでしょう。それでも彼はあれだけ多様な音楽を書いたのです。
もし現代に生きていて、ジャズやロックやテクノやユーロなんかをしったらどんな曲を書いてくれたか、楽しみだとは思いませんか?

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About NO Masaharu

元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。

人間だもの

毎回演奏会2ヶ月くらい前というのは悩んだり迷ったりするんです(この私でも)。もっといい演奏をしたい。でもどうしても練習不足は否めないし、そもそもこの楽団は楽員のレベルにものすごく開きがあるんです。
この楽団は音楽のレベルよりも、人間性を重要視しています。楽器さえ上手ければどんなに性格が悪くてもいい、という事は絶対にないんです。
楽器は下手でも、毎回一生懸命練習に来て、オーケストラの仲間を優しく思いやる人が、うちの楽団の求める楽員像なんです。

HONDAのASIMOというロボットだって指揮は出来ます。多分私よりもテンポは正確でしょう。でもね、どんなに難しい曲をASIMOが振れたとしたって、そこには魂はこもっていないんです。

トヨタに至ってはヴァイオリンを弾いちゃうロボットまで開発しています。難しい弦楽器をここまで弾けるなんて本当に感心しますが、これだって、この演奏を聴いて音楽的に感動しますか?
工学的には驚異的ですが、音楽的には、どんなにへたくそでも人間が弾いた方が心に迫って来ると思いませんか?少なくとも私はそう思いたいです。
どんなに下手くそだって、楽器を演奏するという事の本質は「想いを届けたい」という事に尽きるんだと私は絶対信じています。

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元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。

2番は頭が良くて、空気が読めない務まらない。

最近は練習後の食事会も人数が大体10人以下なんで、色々くだらない話もしますが、音楽の話なんかもするんですね。
以前、毎回20人くらい食事に来てもらっていた頃は、殆ど音楽の話題なんか出ないで、馬鹿話ばっかりだったんですが、最近は演奏の話や音楽の話なんかも割に出ます。
昨日のちょっと話題になった事は、酒の席で少し勢いがついていますが、私が普段思っている事です。
それは、1番奏者は馬鹿でも楽器がうまければ務まりますが、2番奏者は頭が良くて、空気が読めないと務まらないし、実際いい演奏にはならない。というものです。
勿論1番奏者が馬鹿でいいとか、うちの奏者が馬鹿だ、とか言うのでは絶対的に無いんです(ここ重要)。
例えば、ヴァイオリンで言えば、うちのファーストとセカンドはある程度楽器が出来るか出来ないかで、本人が決めちゃっているところがあって、ハイポジションに挑戦できる人はファーストをやっているし、ハイポジションに尻込みしている人はセカンドにいる、というような感じで分かれています。
でも、本来はそこが2つのパートの分かれ目ではなくて、内声でしっかりアンサンブルを支えるのがセカンドで、ファーストはしっかりとオーケストラをリードして行くという役割があります。
楽器の技術で言えば一緒でなくてはおかしいんですね。
うちのオケもまだまだ4年目の新しい楽団で、楽員も楽器歴の浅い方が大半です。
ですが、毎週一生懸命練習して、焦る事無く、少しずつでもいいから、上達して、オーケストラとしていい演奏が出来るようになりたいですね。

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