2週間ぶりの練習

先週は体調が悪くて練習を休んでしまいました。指揮者のひともぢです。

指揮者というのは、慢性的に肩こりを抱えているものだと思いますが、晩年のカール・ベームやギュンター・ヴァント、私の心の師匠のヴォルフガング・サヴァリッシュのように、力の抜けた、それでいて緩まない指揮が出来るようになれば楽しいだろうなぁと思っています。

指揮者にとって練習が楽しいというのは、どういうことか考えてみました。

プロの場合であれ、アマチュアの場合であれ、やはり指揮者にとっては棒だけで、意思が伝わり、自分が思った通りの演奏が出てくることが最大の楽しみだと思います。ヂュナーミク、アコーギク、そして歌い方まで、自分の棒にピタリとつけてくれて、なおかつ演奏者の側からの提案が「マエストロこういうことですよね」と会話のように出てくる演奏をしてくれれば、指揮者にとって最高の瞬間であることは間違いないです。

ところが実際には、指揮者は「全然棒を見ていない」と言って長話を始め、楽隊は「あいつの棒はわかりにくい」と言って、その長話をうんざりして聞いている、という負の連鎖が断ち切れずにいるような気がします。

私が指揮を始めたきっかけは、トロンボーンが暇でどうしようもなかったからではなく、元々、音楽の勉強をきちんとしていなかったので、指揮者が何をしているのかを知りたくて、指揮の本を読みだしたことからです。

アマチュアの音楽家は、自分で指揮をすることはほとんどないので、指揮者が何をやっているのか、よくわからないまま演奏していることがほとんどです。よくわからなくても、腕の振りや表情で、なんとかできる部分は確かにあります。でもそれは「わかっている」とは言えないのですね。

指揮法教程 斎藤秀雄著を読むのが一番よくわかりますが、ここまででなくても、こんな本もあります。指揮のテクニック クルト・レーデル著こちらは、簡単ですし、すべてのアマチュアオーケストラ奏者にお勧めできます。

これくらい読んでおかないと、奏者とは言えないと私は思っています。

私は、たまに指揮者の友人と飲んで、指揮について話をすることをしています。同じ指揮者通しならではの悩みや、苦労などは、やったことがある人でないと分からないことも多いです。

指揮をしたことがなくとも、ちゃんと指揮のことをわかっている奏者もいます。そういう人と、音楽について話をするのはとても楽しいものです。

理解する、ということが一番「楽しさ」につながるのだな、と2週間ぶりの練習で感じました。

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About NO Masaharu

元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。

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