練習再開にあたって

6月に入り、緊急事態宣言が全国で解除されてから、文京フィルハーモニック管弦楽団は都内の施設で練習を再開しました。

楽員の中でも様々な考え方があり、練習参加者は全楽員の半分くらい、通常練習の2/3くらいのメンバーが集まっています。

国が平常の暮らしと言っているんだからいいじゃないか派と、第二派が来るようなことは控えた方がいいんじゃないか派と、多分それ以外にも様々な考え方があると思います。そうした中でなぜ練習を再開したのかについて書いておこうと思います。

2メートルの距離をとって合奏しています

まず、感染症にかかることは罪ではありませんし、謝る必要があることでもありません。これは間違い無いです。感染症は人に迷惑がかかるから、という風に「感じる方」がいるのは否定しませんが、そもそも論でいえば、感染症対策をしっかりやったかやらないかすらどうでもいいんです。

その証拠に、感染症対策をしっかりやっている医療従事者でも感染する人がいます。つまり、しっかり対策をしている人ですら感染するのですから、感染を防ぐことは相当難しいことですし、それは言われているように死亡率の違いやワクチン、薬の有無などありますが、風邪やインフルエンザでも同様だったわけです。

芸能人やスポーツ選手が感染したら謝罪をしていて、曰く「ご迷惑をおかけして」。それはそうですが、病気なのですから仕方のないことです。誰だって好きでかかっているわけではないのですから。それを「感染症対策もせず」と言って他人を叱責するのは、気分の問題であって、自粛警察やマスク警察のように行き過ぎた、正義の暴力がまかり通ることになるわけです。上述のように医療従事者ですらかかるのですから。

では、医療従事者ですらかかるのだから、一切家から出ない方がいいのだ、というゼロリスク理論を唱える人もいます。それも考え方です。危ないことは一切やらないで、外出もしない、人とも話をしない、オケの練習なんてもってのほか、という人もいらっしゃるでしょう。

その考え方は否定できませんが、そういう人はそもそも練習には来ないので、楽団が練習を再開しても、影響ないし、他人の行動を制限することもないです。

硬いフェイスシールドでは演奏しにくいので、こういう工夫もしています

問題は、結局のところ、練習はしたいけど、コロナは怖いという考え方です。

結論から書けば、それは「個人の感じる程度問題」ということに落ち着きます。

本当の意味での「感染症対策」ということであれば、練習のある土曜日だけ一生懸命やってもダメです。平日通勤電車に乗り、会社や学校へ行き、飲み会や会食をしている人はウイルスを保有している可能性があります。

リスクをゼロにしたいのであれば、そういう平日の行動すべてをアマオケが管理しなくてはなりません。平日一歩も家から出なかった人だけ、土曜日の練習参加を認めますw。このおかしな論理矛盾はメビウスの輪やクラインの壺のようなものなのです。

演奏しにくくても、フェイスシールドを着用して合奏します

では、上にも書きましたが、程度問題ならば、感染症対策なんて面倒くさいし、結局かかるかかからないかは運なんじゃないの?という極端なことを考える人もいるようです。しかし、それは間違いです。土曜日の感染症対策は無意味かというと、そうではありません。仮にウイルスを持っている人が参加したとした時に、感染症対策を行うことで、クラスター感染を防ぐことができます。

しつこいようですが、クラスター感染をゼロにしたいのであれば、接触をゼロにすることです。しかしそれが現実的でない以上、そこから先は「程度」問題ということになります。例えば、借りる練習会場や食事をするお店のルールに従い、さらに参加する各人が手洗いや消毒に努めることにより、感染のリスクは下げることが可能です。

そうしたことを全て考えた上で、「結局うちの楽団は何を一番大切にしているんだっけ?」ということを問うたときに、出てくる答えは、「練習とコミュニケーションを大切にしてきた」ということです。

あとで、コロナがいつか笑い話になった時に、または別の何かのせいで楽団活動が制限されるようになった時に、今回のことを思い出す意味で、今日のエントリを行いました。文京フィルは自分たちの価値観を守るために、楽員の多様性を認めつつ、今後も「できうる限りの感染症対策」を行なった上で、活動を続けていきます。

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About NO Masaharu

元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。

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