再始動

おはようございます。指揮者のひともぢです。

昨日、緊急事態宣言が9月いっぱいで解除されることが決定されましたので、10月2日、今週の土曜日から、いよいよ練習再開です。

新型コロナウイルスが日本で見つかったのが19年の年末から20年の1月くらいにかけて、3月からなんだか自粛の動きが始まり、1回目の練習停止、6月から自粛が解け、練習を再開して、年内はなんとか、練習ができていました。

しかし21年の1月頭からの緊急事態宣言で、2回目の練習停止。これは1ヶ月と少しで解けたので、2月から練習再開できましたが、ゴールデンウィークを目前に3回目の練習停止。

2ヶ月弱、6月末にまん延等防止措置に移行して、練習再開、しかしたった3週間の練習再開で、4回目の練習停止。2ヶ月半の長き渡って、緊急事態宣言が出ていました。

緊急事態宣言下でも練習していたり、演奏会をしていた楽団もありますが、その一方で、私たち同様に自粛していたり、物理的に練習できなかった多くの楽団の様子をTwitterなどで見ることができて、日本全国のアマオケにとって本当に受難の時期であったと思います。

逆説的な言い方になりますが、私たちはプロではないので、生活がかかっているわけではありません(生活の直撃を受けている人も多いと思いますが)。

感染症の拡大には抵抗しつつ、やれることをやれる範囲で続けていけばいいのだと思います。

「鬼滅の刃」で鬼の始祖、鬼舞辻無惨は「雨が 風が 山の噴火が 大地の揺れが どれだけ人を殺そうとも 天変地異に 復讐しようという者はいない」と言っています。

全くその通りで(新型コロナウイルスが人為的に作られたという説もあるようですが)コロナウイルスは自然のものだから、文句を言っても始まりません。もっとも、対応がどうこうと政府や自治体に文句を言っても始まらないのですがね。この想いは秋の総選挙で晴らしましょう。

文句を言っても始まらないので、私たちは感染症対策をして、音楽活動をすることになります。前にも書きましたが、以前から冬になると風邪気味でも練習に参加する楽員がいました。体調が悪くても練習に参加するとは見上げた根性!と礼賛する向きもあるようですが、私は厳重に練習には来ないように楽員に申し伝えていました。

オーケストラの練習はどこでやるにせよ、密室になり、20人から30人程度の人間が集まる、感染症にとっては天国のような状況が発生します。私自身が風邪をひきやすいこともあり、(自己防衛を除いて)マスクをするような人は練習に来ないでくださいということを徹底していました。

今後は、加えて、マスク、手洗い、消毒、換気。この辺を徹底していくことになります。もうそれしかないんです。

いつか、この新型コロナウイするの脅威が低減される日が来るかと思いますが、仮にそうなったとしても、対策は何らか残り、全く以前の元に戻るということはないと思います。

リバウンド話もありますが、リバウンドは来るでしょう。もしかしたら毎年冬には練習できなくなることも考えなくてはいけないのかもしれませんが、いずれにしても、自分でコントロールできないことを心配しても仕方ありませんん。

自分にできることをしっかりやっていく。この当たり前のことを当たり前にやっていくしかないのだと思い、今回の練習再開を、貴重な幸福な時間だと思って大切に楽しむことにします。

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About NO Masaharu

元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。

未来は予測しづらい

こんにちは、指揮者のひともぢです。

私ごとになるんですがね、もう2年と9ヶ月ステージに立っておりません。私が最後にステージに立ったのは2018年12月9日の第18回定期演奏会になります。

その後も、楽団としては第19回定期演奏会が2019年の9月21日に行われているんですが、その演奏会には私は出ていないんです。

自分の作ったオーケストラで指揮者をやっている私が演奏会に出ていないというがどういうことか、もしかすると想像できないかもしれませんが、楽団を作って10年以上が経ち、ほとんどのことを自分一人で決済して、自分一人でやってきた私が、「私」という存在を中心に楽団を運営すれば、持続可能性に問題があると考えたのです。

この楽団は、100年続くことを目指して作りました。私自身が楽しいとか、やりたいことをやるとかそういうことではなくて、楽器初心者にも門戸を開き、音楽のハードルを下げて、裾野を広げるために作ったのです。

そして、その「理念」は私が引退し、死んだ後も続かないと本物では無いと感じたのです。

音楽家は大抵自己中心的です。特に一部の優れた芸術家と、趣味で音楽をやっている人は極端に自己中心的です。ある意味、それで良い部分というのはあるのですが、その部分を満たしたいのであれば、他に良いオーケストラがいっぱいあります。

私たちのオーケストラは下手くそでも、一生懸命練習する人たちを応援したいと思って作ったのです。簡単にオーケストラに入れない人でも、ここで経験を積み、知識を増やし、練習してもっと上手なオケや、もっと大きなオケに行ってくれれば、それでいいんです。

そういうオーケストラは自己満足で運営するわけにはいきません。だから、私は音楽監督を人に譲り、自分は本番に乗らないのに、毎週の練習に行き、代振りをして、毎週楽員と酒を飲み、オケの運営にだけに徹して見る時期を作ったのです。

演奏会の運営もいままでは私が号令をかけてやっていましたが、なるべく任せるようにしました。いっぱい不備が見つかりましたが、それもいい経験になり、その後かなり上手に修正できています。

さて、他人にまるまる1つの演奏会を譲り、外から客観的に演奏会を見ることもやってみたのですが、まさかその半年後に新型コロナウイルスが猛威を振るい、ほぼ1年半(現時点で)練習がままならず、演奏会を2回も飛ばし、私自身 丸3年ステージで指揮ができないことになるとは、「あの時は」思いもしませんでした。

会社でも四半期の計画と同時に、中期計画などを立てます。私もこのオーケストラで2、3年後の中期計画と大雑把な10年の計画を立てて活動しています。いままではそれでほとんどうまくいっていました。

実はそれが砂上の楼閣であり、偶然の産物であったことを今回は痛感しました。もちろん、計画は必要です。少なくとも50人くらいの人間が関わり、年間で100万円くらいの動く団体なのですから、全くの無計画、行き当たりばったりというわけにはいきません。

しかし、計画に囚われてはいけないし、計画通りに進むとも限りません。未来から逆算して考えることはとても大切です(10年後にどういうオケになっていたいのか?とか10年後にどういう指揮者でいたいのか?という問いは大切です)。でも、それに対しては常に柔軟に対応しなくてはいけません。

また、先にお楽しみを取っておくのも間違いだと思いました。やりたいこと、やれそうなことはすぐに手をつけないと、人生はあまりに短すぎるし、不確実なことが多すぎるからです。

未来は予測しづらいですが、その未来を手中にしていくのも人生の楽しみなのだなということを痛感するこの頃です。

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0から1と1から100

こんにちは、指揮者のひともぢです。

うちの楽団は15年の歴史がありますが、楽員数の最大は97人で、いまは41人です。

一番人数がいた時は、ラフマニノフの交響曲2番なんて大曲ができたし、何よりもコントラバスが9人もいて、トロンボーン、チューバをバンバン鳴らして、映画音楽やバレエ音楽もできましたが、最近は特に弦楽器が少なくて、トロンボーンのない曲を選曲せざるを得ない状況になっています。

これは、何もコロナのせいだけではなくて、どんな組織でも、人数が一定と言うことはなくて、波が寄せては返すように、増えたり、減ったりするものだと思います。

最近入った人は、しきりに「人が減った」とか、「人が少ない」とかいうのですが、40人もいる趣味の団体が少ないわけはなくて、この人数でもやれる曲はいっぱいあるわけです。

ただし、大好きなチャイコフスキーは難しいです。

とはいえ、練習の時に弦楽器のパートが一人か二人という状況は確かに心細いし、実際に音量は出ないわけです。その意味では確かに「少ない」という点は認めましょう。

でもね、私は思うんです。自分でオーケストラを作った時は、私しかいなかったんです。最初っから60人も90人もいたわけじゃないんです。0から1の1は私。そして、1は頑張れば10にも100にもなるんです。

パートが思うように揃わないのは、アマオケの大いなる悩みです。自分の都合の良いようにはなかなかいきませんが、最初っから、それぞれの楽器の奏者が比例して正規分布しているわけではないから、これは織り込み済みだし、そうでないといけないんですね。

その意味では、97人いた時は、幸せだったのかもしれませんが、その分揉め事も多く、落ち着かない状況であったと思います。

要するに、何が言いたいかというと、0から1にする熱量は1を100にするのとは比べものにならないくらい高いものでなくてはいけないし、そこには多くの幸運と、テクニックが必要なんです。

そして、1を100にするには、0から1を作り出すのとは全く別の価値観と概念とテクニックが必要なんです。また、組織は呼吸をするように人数を増やして減りするものだし、楽団の勢いというのも同様に、バイオリズムのある生き物のようなものなのです。

大切なことはぶれないことです。何にためやっているのか、目的と手段を間違えないことです。

正直に書くと私はまた97人にしたいとは全然思っていません。あの時の苦労はもうゴメンだし、あの時のように若くもないので、正直疲れます。

ただ、標準の2管編成の曲ができて、選曲に制限ができないくらいまでには弦楽器の人数は増やさないとな、と思っています。

コロナのこの状況で、なかなか難しいものがありますが、楽しんで楽団運営していけば、その未来はそんなに遠くないと思っています。

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アマオケを辞めるわけ2

こんにちは、指揮者のひともぢです。

このブログは足掛け15年やっているのですが、検索で一番読まれているのが「アマオケを辞めるわけ」という過去のエントリなんです。

なんで、そんなエントリが注目されているのかはよくわかりませんが、多くのアマオケがこのコロナ禍で不自由な活動を強いられている中で、新しいアマオケを探す人や、今のオケに不満がある人なんかが検索しているのかな、と想像します。

前回も書きましたが、アマオケを辞める人は、常に同じ理由で辞め続けるという意見は変わっていないです。指揮者が気に入らない人は、次のオケでも指揮者が気に入らないし、運営が気に入らない人は、次のオケでも運営に問題点を見つけてしまい、パート内で揉め事があって嫌になる人は、次のオケでも同じ目に遭います。

なんで、私ばっかりこうやってパート内で揉め事が……。と思うかもしれませんが、答えは簡単です。揉め事の原因がその人自身にあるからです。

それは、その人が「悪い」わけではなく、その人の考え方や行動が何にも変わっていないから、同じような目に遭うのだと思います。

その後1つのはっきりした原因を見つけましたので、再発防止のために書いておきます。

それは「自分の意見が通らないときに怒るから」です。

音楽に指揮者が必要な理由はいくつかあるんですが、その最も大きなものは、音楽の方向性を決める人間必要だからということに尽きると思います。

50人のオーケストラでみんなの意見を聞いていては、テンポ一つ決まりません。あるパートはゆっくりやってほしい、あるパートは速くやってほしい。そんなことをいちいち話し合っていては時間がいくらあっても足りませんし、人間関係の力で決めれば、負けたパートはいつも負けて不満を持つわけです。

だから、最初っから交通整理だけを専門にやって音を出さない指揮者が必要なんです。

ところが、これが運営になるとちょっと難しくなって、絶対権力者を設定すれば、それはそれでその人と合うか合わないかだけに集約されるので問題点は明確になりますが、うちのように民主的にやります!などと謳っていると、「自分の意見も取り入れてもらえる!そもそも自分の意見は正しいのだから」と思う人がどんどん出てきます。

何かを言えば、必ずそれについて賛成反対、メリットデメリットがあるものなのですが、ちょっとでも反対意見を言われると「人間性を否定された」と思ってしまい、激怒するわけです。

多数決をやったって、満場一致でない限り、必ず否決される意見は出るわけです。意見が仮に5つ出れば、妥協はあるにせよ、4つの意見は却下されて、採用される意見は1つだけです。

「せっかく意見を言ってやったのに」と思う人は、そもそもその段階で間違っています。オーケストラは50人からの団体です。意見を言うことの重要度は高いですが、一人の意見は1/50の重みしかないので、取り上げられる確率は限りなく低いんです。

自分に権限がある場合は、思ったことをどんどん提案してどんどん実行していきましょう。しかし、そうでない場合、自分の意見を「言うチャンス」は当然あります(うちのオケの場合)が、全ての意見を均等に実行することはできません。

私は他のオケでも状況は大体一緒なのかな?と想像しています。

運営はみんなで分担しましょうというのはお題目だけ。結局は一部の人だけが頑張ってやるだけで、多くの人はみてみぬふり。だったり、選曲は結局いつも一部の人の意見ばかりが通って偏りがある。だったり。何がしかの不満はあるものです。

一つのアマオケに何十年も在籍している人がいますが、そういう人は自分の意見を取り入れてもらえる立場にいるか、最初っからオケにはそういう機能を期待していない人なのではないでしょうか?

その一方で、本当に演奏会一回ごとにオケを変えている人や、演奏会まで我慢できない人も多く聞きます。

別に一つところにずっといることがいいことだとは思いませんが、少なくとも、腹を立てて辞めていくことを続けていくのはあまり良いことではないと思います。

前回と同じ結論にはなりますが、オアシスのようなオーケストラはありません(あれば、それはオアシスでありパラダイスです。大事にしてください)。自分が変わること、自分のルールを人に押し付けないこと、自分が大切にしている物や事を、他人も同様に大切にしてくれると思わないことです。

ストレスを解消できる趣味の活動が自分の気持ち一つで手に入るのですから、やってみる価値はあると思いませんか?

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組織の要諦

こんにちは、ひともぢです。

ずいぶん時間が経ってしまいました。前のエントリを見ると、史上最高の1年にする!なんて宣言していますが、9ヶ月が経ち、ほとんど練習できないばかりか、演奏会は中止になり、楽団創設15周年の記念行事も何一つできない状態が続いています。

ブログもすっかり放っておきになっています。すみません。もともとこのブログは楽団に興味を持った人が、「どういう考えでこの楽団をやっているのか」を知ってもらうために始めたんですが、15年前はブログというメディアがほぼ情報発信の唯一の存在でした。

今では、Twitter、Instagram、Facebook、Youtubeとこの楽団でも様々なメディアを使っています。決してブログは廃れたわけではなく、その役割立ち位置が変わったのだなと思います。

速報性の高いTwitterは毎日更新して、楽団の認知度を高める目的で使っています。若い人に親和性の高いInstagramは画像のインパクトでやはり認知度向上を図っていますが、こちらはあまりうまく使えていません。Facebookは比較的年齢が高く、ちょっと突っ込んだ内容を展開できます。そして今後一番力を入れなくてはいけないと思うYoutubeですが、こちらは、なにしろ練習できないので、素材を集めることができず、更新が滞っています。

一時期は、tiktokも考えたのですが、ユーザー層が私たちの求めるものではないと思い、手を出さずにいますが、今後変わるかもしれません。

さて、ブログですが、もともと私の考えを書いて、後から入ってきた人にも違和感なく参加してもらうことや、演奏会に来てくれた人が納得してくれることを目的として始めました。

というのも、この楽団は普通のアマオケを目指しているわけではないからです。

例えば、うちの演奏会は0歳児から入場できます。音楽を聞きに来ているので、雑音を出すのはご法度です。実際、飴やガムの包み紙をカサカサしないようにとマナー啓発は行なっています。その一方で、赤ちゃんの入場は認めている。これは矛盾するのでしょうか?

私は矛盾しないと思います。聞き分けのある大人が、演奏の前に飴やガムを用意するのは、できて当然です。演奏が始まってから喉が気になってというのは、何にも考えていない証拠です。

しかし、赤ちゃんが泣いたりぐずるのは「仕方のないこと」です。この文章を読んでいるすべての人が、赤ちゃんだったことがあるわけで、当然、誰のいうことも聞かずに泣いたりぐずったりしたわけです。

0歳児を抱えたご両親にも演奏会に来てほしいし、0歳児にこそ本物のオーケストラの音を聞いてもらいたい、これがこの楽団の考えです。

演奏する人にも、通常のオーケストラの「常識」には反したルールがいっぱいあります。過去のエントリを読んでいただければお分かりだと思いますが、相当に風変わりなルールがありますが、それはすなわちこの楽団の理念なんです。

こうした理念をしっかり文章に残すことは、組織を維持反映していく上で大きな意味があると思います。

会社は「お金」で持って社員を縛り付けることが可能です。しかし、趣味の団体、アマチュアオーケストラはそうではありません。そういう人が集まる集団を維持していくには、はっきりとしたルールと、共有できる「考え方」の2つが重要だと考えています。

この楽団を作った時に、一番最初に作ったのは、ホームページとそこに記載する「楽団規約」です。今も、楽員募集のページに規約が載っています。これを読めばこの楽団のルールは大方わかります。もちろん、細かい不文律みたいなものも長い時間の間に作られています。

そして、共有できる「考え方」をお伝えするのには、コミュニケーションを図ることが大切で、それが故にこの楽団は毎回の練習の後に運営委員会という名の、食事会・飲み会を開催しています。

話さないと人間は理解できません。話さないから理解できないんで、嫌いな人や嫌な人と接触を避けると、必ず決別します。

いま、食事会ができる状況ではないので、それに代わるものとして、このブログのエントリの頻度を今後は上げていこうと思います。

このコロナ禍で楽員もずいぶん減ってしまいました。しかし組織は増えることもあれば減ることもあり、曲線を描きながら、進んでいくものです。そのための規約はしっかりしており、あとは今私は何を考え、どう思っているのかをしっかり発信していくことだと思っています。

コロナ禍の収束はまだまだ見えてきませんが、今できることをしっかり続けていこうと思います。

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