みなさん、新年あけましておめでとうございます。指揮者のひともぢでございます。
Twitterに毎年ブログで1年を振り返っているのが恒例だ、みたいなことを書きましたが、確認してみるとそんなことしていませんでしたね。まぁ今年もそんな感じですよ。
2020年はどんな人にとっても、未経験の1年になりました。
文京フィルも、2月までは通常練習していましたが、3月は練習会場の貸し出しが停止し、一般の練習場を確保することになりました。なりましたが、楽員が、家庭や会社や様々な事情で練習に参加できなくなり、自主練習の1ヶ月間となりました。
4月に緊急事態宣言が出され、練習は全面的にストップ。
毎週土曜日手持ち無沙汰になった楽員と一緒に、ZOOMで飲み会を行い、コミュニケーションを取り続け、楽団の最高意思決定期間である評議会も、全楽員ミーティングもZOOMで行うなど、新しいツールを導入することができたのはよかったです。
6月に緊急事態宣言が解除される前に、都内の練習場の情報をしらみ潰しに当たり、解除後はすぐに練習を再開。しかし、3月の時以上に、楽員は練習に来られなくなり、そうこうしているうちに、一人辞め、二人辞めと、ポロポロと人数は減っていきました。
毎回の練習もそれまで大体30人くらいは来ていたのが、20人くらいになり、毎週パートに歯が抜ける状態が常態化してきました。
とはいえ、そんな状態は楽団創設時もそうだったし、私たちは演奏会をする団体ではなく、毎週の練習を頑張る楽団なので、参加する楽員で協力し、話し合いながら練習を進めていきました。
もちろん、感染症対策は、コロナ以前からしっかりやってきたつもりですが、距離を2メートルとり、管楽器奏者はフェイスシールドをしたまま演奏してもらっています。手洗いや消毒もやり、1時間に1回の換気を行い、この楽団の代名詞ともなっていた、練習後の運営委員会という名の食事会も、7月からは中止しています。
一部の楽員からは、やりすぎではないか?という声もありましたが、こういうことはやりすぎるくらいでないといけないというのが私の考えです。国や都のようにしがらみのない、私的な団体なので、とにかく徹底的に感染症対策を行わないと、万が一感染者が出てきたときに、「何をやっていたんだ!」という批判に応えられないからです。
そんな思いをするなら、練習しなければいいのに、という考えもあるでしょう。
しかし、私はそれはただの思考停止だと思います。危ないから何もしない、というのは知恵のある文明人のやることではないとも断言します。自分の頭で考えて、やれることを全部やるべきだし、命を奪うウイルスであっても、戦いを挑み、私たちの日常を自分の力で確保すべきなのです。
この考えは誰に対しても強制はできません。しかし反対に、感染症対策をやっているのですから、誰からも非難される言われもないと考えています。
一番ショックだったのは、5月の演奏会を中止したこと、そして本当であれば8日後に行うはずだった演奏会を延期したことです。
こんなことは、あの東日本大震災の後でもなかったことで、楽団を作ってからもっと衝撃的な事件だと思います。
でもね、これも考え方次第ですよ。
「人間万事塞翁が馬」というではないですか。私は荘子の信奉者なので、「無為自然」を最上のものと考えています。コロナのせいで、私たちは古い日常を捨てることができるのだと考えます。
アマチュアオーケストラも新しい形に適応できる楽団が生き残り、適応できない楽団は消え去っていきます。オーケストラ自体が、もうすでに過去の遺物になっているのかもしれないとも思います。
私たちは、アマチュアオーケストラが楽しいんです。だから、やめずに続けていきます。可能な限り安全を確保しながら。
この間、さっきも書いたようにZOOMで会議ができることがわかりました。Youtubeの動画にも手を広げましたし、noteも作りました。
私は2021年の元旦にあたり、高らかに宣言します。
楽団創立15周年の今年、文京フィルは見たこともないほどの飛躍の一年にします。
過去最高の見学者を集め、過去最高の演奏会来場者を目指します(うちの楽団は演奏会の、演奏の質を目指さない楽団なんです)。
1年後の今日、2021年は心の底から良い一年だった。と胸を張っていえるように、やれることをやります。やれないことは頑張りません。
私たち学院もそうですが、演奏会に来てくれる方、このブログを読んでくれている皆さんが、健康で、楽しいクラシック音楽を、今まで以上に楽しめる1年になりますように。心から願っております。
今年もよろしくお願いします。
About NO Masaharu
元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。