前代未聞の演奏会中止

こんばんは、指揮者のひともぢです。

公式サイト等で既にお知らせしておりますが、5月2日に実施予定でした、弊楽団の第20回定期演奏会については、実施を見合わせることが決定しました。

思えば、2006年に楽団を立ち上げて、2011年に東日本大震災があり、合宿などは実施できなかったことはありましたし、震災以降の輪番停電などの影響で、練習会場が使えなくなり、あちこちをジプシーのように点々としたことはありますが、練習を休んだことはありませんでしたし、震災から2ヶ月後の演奏会は無事に開催できたわけです。

新型コロナウイルスという目に見えない微細な生物の破壊力は抜群で、世界中で多くの人が亡くなっている中で、趣味の活動なんて取るに足らないだろ!というご指摘もあるかと思いますが、今回の新型コロナウイルスは、現代に生きる私たちに様々なことを問いかけているような気がします。

私たちは趣味ですからいいのですが、プロの音楽家の生活が成り立たなくなっていることはみなさんご存知だと思いますし、音楽活動は「不要不急」なのか?という問いには、すでに自宅勤務を何日もやっている方こそ、音楽に飢えていたり、運動がしたくなったりしていることからも、それは「要で急」であることがわかると思います。

もちろん命が大切ですが、お金がないと生きていけないのも事実。また生活に潤いがないと、生きていくのが辛いのも事実。

こんな時だからこそ、音楽や笑いなどが、人間の暮らしに重要な影響を与えることを考えると、何を最優先すべきなのか、あまりに複雑すぎてわからなくなってしまいます。

とにかく、早くこの騒ぎが収まり、一人でも多くの人が早く健康を取り戻せることを願ってやみません。くれぐれも人間同士で攻撃し合うことなく、助け合うことこそ、人類に求められているのだと確信します。

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元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。

未完成

こんばんは。
らっぱのタキエイトです。
指摘が入りましたので報告を。
あたくしの合奏中の謝る回数はTOP3に入るらしいです。
さて、
今日、てこてこ歩いている時に電車の踏切の遮断機がカンカンなっていました。
やっぱり、あれやっちゃいますよね?
カンカンにあわせて八分、三連符、十六分、2拍3連を口ずさむ♪
中学時代にリズムが全く取れなくて、歩きながらリズムをとったりしていた名残なのかもしれませんが。。。
そう考えると、日常に音楽って溢れているのかな、なんて
ロマンチックなことを考えてみました。
代表的なところが、街の喧騒にあわせての鼻歌ですね。
僕もよく歌っています。
曲なんか適当にご機嫌に合わせて勝手に歌っています。
タキエイトの交響曲と呼び、1番から10番まであります。
(サブタイトルは全部が未完成です)
どんな音でも、それが楽しめるものだったら、
音楽になるなんて思う一日でした。
さすがに車のクラクションとかは楽しめなかったのでただの音でしたが。
そんなことを考えながら練習も頑張っていきたいと思います。
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最後の最後、個人的なことですが、明日からしばらく旅行に出ます。
ネット環境が微妙なのでブログのアップを少しお休みします。
多分、弦楽器の人がそろそろアップしそうな予感が(チラッ)

完全を目指しながら、不完全を楽しむ

囲碁将棋が趣味の指揮者、あなたのひともぢです。
チェスもやるんですが、最近チェスの日本代表が、完全を目指しながら、不完全を楽しむと言っていました。
どういう意味でしょう?
私なりに説明するとこうです。
実はチェスもそうですが、将棋も最近では囲碁もコンピュータが強いんです。コンピュータはついウッカリ間違えたりしませんから。
対して人間は間違います。将棋の大山康晴十五世名人は、人間は絶対に間違うと断言してます。だからコンピュータに勝てるわけがないだろうとまで言っています。
ではもう人間は将棋もチェスも囲碁もやめた方がいいんでしょうか?
そんなことはありません。間違える人間どうしだから、勝負になるんです。人間が頭を捻る、そこに知恵や閃き、個性があるから面白いんです。
これは実は音楽も一緒だと言ったら驚きますか?
音楽も楽譜通りに演奏するならコンピュータが最適です。だって絶対に音外さないし、音色も常に一定です。サンプリングすれば誰の音でもだせます。アゴーギクもデュナーミクも自由自在。息も続くし、どんなテンポでも指が回らないなんてこともありません。
ね。最高でしょ!
…でもそんなものにお金を払う人はいませんよね。完璧な演奏ならいいわけでないということはこれでご理解いただけたと思います。
ここで最初に戻ります。
我々は常によりよい演奏を目指します。でも、それが究極の目標ではないんです。
完璧を目指して練習しましょう。でも出来ないんです。プロと同じ楽譜をプロのようには演奏できませんよ。ましてや作曲家の意図通りには演奏できません。
でも、諦めたり、努力を放棄せずに、不完全であることを認めてそれを楽しみましょう。
少なくともうちはそういう楽団です。ヴァイオリン、ヴィオラとファゴットは絶賛募集中です。

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生きてるだけで丸儲け

今日はちょっと早く帰宅できたので、夕方の4チャンネルのニュースを見ていました。
十数年前に医療ミスで殆ど全身麻痺になった、ピアノの先生の紹介がありました。バリバリのピアニストが21歳という将来のある時期に、このような不幸な境遇になったのですが、彼女の生徒たちが、先生を励まし、十数年ピアノ教室は続き、先生はリハビリに励み、それまで左手がかろうじて動く状態だったのに、最近では右手の薬指と左手の人差し指で「星に願いを」を弾けるまで回復したのだそうです。
私は歳のせいか(笑)、この手の話にはとんと弱くって、ニュースを見ながら殆ど泣いていたのですが、こういう頑張っている人を見るにつけ、自分はまだまだ努力が足りないと感じます。
私は五体満足で、自分で歩けるし、手も足も動くし、話も出来る(彼女はそのほとんどが一人では満足に出来ない)。それなのに、忙しいとか、他にやる事があると自分を甘やかして、毎日をダラダラと暮らしているわけです。
車いすに乗って少ししか左手が動かないのに「ピアノを弾きたい」と言う彼女の言葉には本当に涙が止まりませんでした。
私はピアノの練習も出来るし、トロンボーンも吹けるし、指揮もしています。
そのすべてが事故や病気で出来なくなったら、果たして私は彼女のように前向きに生きていく事が出来るだろうか?
「生きてるだけで丸儲け」というのは明石家さんまさんの座右の銘で彼のお子さんの名前の元になった言葉ですが、今日ほどそれを感じた事はありません。
私たちはもっと、自分の現状に感謝して、前向きにそしてひたむきに努力をしていかないと、音楽の神様にしかられると思うのです。
ピアノの先生は、口も不自由なのに、生徒に「音楽はそんなに甘くない」と五十音表を順に指差しながら指導していました。
「音楽はそんなに甘くない。」心に刻んでおきたいと思います。

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寺井尚子さんのジャズヴァイオリン

私が実はクラシック音楽よりもジャズが好きなのは以前に書いたことと思いますが、それはジャズ音楽の本質がアドリブにあり、それはすなわち演奏しながら、作曲をするという、究極の音楽の形だと思うからです。
楽譜に書かれたことだけをするのであれば、それは作曲家の言いなり(言葉は悪いですがね)なわけです。
自分の楽器を自在に操り、周り人間と合奏を楽しむ。これが音楽の究極の楽しみではないでしょうか?
あまり頻繁にではありませんが、銀座のスイングというジャズバーでお酒とライブを楽しむことにしています。
今日はジャズヴァイオリンの寺井尚子さんの演奏を仕事で知り合ったカメラマンさんと聞いてきました。
ヴァイオリンという楽器はいうまでもなくオーケストラで最大の人数を誇る楽器です。それは管弦楽でメロディーを与えられている楽器で、なおかつ、音が小さいから人数が多いわけです。
それが故にヴァイオリン奏者にはなかなか一人で演奏する「精神力」を持った人がアマチュアには少ないのが残念なところです。
寺井尚子さんの演奏で感心するのは、その速い指使いでも、美しい音色でもありません(両方とも素晴らしいですが)。
とにかくその「弓」使いが素晴らしいのです。
特に先端15センチくらいを残して、そこで細かなニュアンスを出していましたが、ダイナミックな演奏の中で、決して雑にならず、繊細にそして華麗に、さらにいえば色気のある演奏を見せてくれました。
うちのオーケストラはまだまだ表現が幼稚ですが、少しでも高いところを目指すことで上達していける余地があることが再確認できた素敵な夜でした。

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音楽芸術の本質

昨日楽譜が読めないという話を書きましたが、音楽芸術というのは音として再現される、という点においてその本質は「常に3つの立場がある」ということだと私は思っています。
つまり「音楽」という芸術は作曲した人の視点、演奏する人の視点、観客として聴く人の視点の3つがあるということです。
作曲家が作品を作り出さなければもちろん音楽は生まれないわけですが、作曲家がいくら楽譜に音符を書いて「作品自体」は存在したとしても、それが実際の音になっていないのであれば、その作品は完成して存在している、とはいいがたいわけです。
ちょっと脇にそれますが、勿論作品としては書かれたもの自体が存在のすべてですが音として鳴らないことを前提に書かれた、つまり楽譜であることをもって存在意義のある作品があることは私は不勉強故知りません。
さて、では演奏する視点というのはどういうことでしょう。これはすごく簡単です。今は優秀なコンピュータがあります。サンプリングした音源を打ち込み、楽譜通りに演奏させることは可能ですが、そんなものでコンサートが出来るでしょうか?お金を払って聴きにいきたいですか?
そうではないですよね。
つまりどのオーケストラがどの指揮者によってしかも、どのホールで演奏されるか、なんてことまでが再現者である「演奏家」には求められるわけです。
上述のように作品は音として鳴って初めて価値があるわけですから作曲家と観客だけの音楽というのはなかなか成立しがたいわけです。
では、観客がなく、作曲家の作品を演奏家が演奏しているだけでは音楽作品とはいえないのでしょうか?
ここはきわめて微妙なところです。
私の大好きな指揮者ムラヴィンスキーはプローベで完璧な演奏をした際には、本番の公演をしなかったそうです。この話にはいろいろ裏がありそうですがムラヴィンスキーは音楽の神のためにだけ演奏して、観客がいるかどうかは問題にしなかったそうです。
しかし、音を出すという行為、演奏するという行為はやはり鑑賞する人間、言い換えるとその音楽を聴かせる対象となるべき人間に向かって行われるべきものでしょう。
自己満足の演奏ではそれは演奏とはいえないし、暴走族がマフラーを外したバイクで道路を走り回っているのと大差ないのだと私は考えています。
うちの楽団はまだまだ芸術について語る資格のある演奏は出来ていません。しかしね、少なくとも音楽暴走族でいいはずはありません。
常に音楽というものが3つの視点を持って同時に存在しているのだ(自分さえ良ければいいというのは大きな間違いだ)ということだけは忘れないでいこうと思っています。

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音楽は楽しいか?

私は年に何回か、特に意識しては演奏会の前くらいに必ず楽員にこう聞きます。
「楽しい?」と。
楽団の練習に限らず、楽器の練習というのは楽しいばかりではないと思います。同じことの繰り返しであったり、苦手な部分であったり、合奏であれば、よその人と合う、合わないであったり。
しかしね、そのすべてをひっくるめて「楽しいかどうか」なんです。
世の中に楽しいだけのものってのはないと私は思っています。
人生に限っていえば9割はつらいこと、楽しいこと、いいことは残りの1割。でも、その9割のつらいことをどうやって楽しむことが出来るか?そして楽しめる人こそが「才能のある人」なんだと私は思います。
音楽の才能のある人は、絶対音感のある人でも、運動神経がいい人でもないです。音楽そのもの、または音楽にまつわるすべてを楽しめる人、だと私は思います。
楽しくないならやっていてもあんまりプラスになりません。
「楽しいですか?」自分の胸に手を当てて聞いてみてください。

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経験と想像

今日はちょっと観念的な話し(笑)。
失恋したことあります?
まぁ、余程の人でない限り、失恋の一つや二つはあるでしょう。
ではちょっとぶしつけかもしれませんが、自分が飼っていたペットの死を経験したことはありますか?
これも大方の人は経験したことがあると思います。
音楽をする上でこの「経験」というのは大きな武器になり、他人への説得力を持ちます。
失恋をしたことがない、可愛がっていたペットの死も知らない。幸せな人ということも出来るかもしれませんが、そういう純粋培養みたいな人の音楽ってどんな感じなんでしょうね?
私は経験が全てで、それがない人は音楽家として失格だ、と言っているわけではないです。時には経験や教養が音楽へのアプローチを邪魔することもあると思います。
しかし、失恋やペットの死による「喪失感」というのは実体験として経験しないと、心の中で咀嚼できないし、それを音楽で表現するのには相当の「想像力」が必要なのではないでしょうか?
今回いいたかったのは、経験がない人がいい音楽をできない、ということではなく、人生に於ける全ての経験は音楽をする上で必ず役に立つ、ということです。その意味では無駄な経験は一つもない、と私は思っています。

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3ですよ。3。
私は割と数字にこだわりを持つタイプなのですが、これって男の人に多いんですかね?
私は基本的には奇数が好きなんですが、私のラッキーナンバーは14と23なんです(全く関係ないですね)。
さて、これは合奏の時にお話ししようと思っていたんですが、音楽では「3」という数字は非常に意味のある数字なんです。
4分の4拍子の楽譜は音部記号の横に「C」と書かれていますよね?楽典などによると、あれはもともと4分の3拍子が「完全拍子」という事で「O」と書かれていて、4拍子は不完全なので、間が抜けている、のだそうです。
日本人的な感覚でいうと、2拍子や4拍子の方が据わりが良くて、基本的な拍子のように感じますが、実際音楽(というかここで私が音楽と言っているのは、「西洋音楽」という事ですね)では3拍子が基本なのだ、という事です。
これを日本人は農耕民族で、西洋の騎馬のギャロップが3拍子である事からその違いを説明する向きもあるようですが、私はそんな単純な事ではないと思います。
聖書の事を知っている人は「三位一体」という単語をご存知だと思いますが、もともと西洋文化というのは3なんだという事があるのかもしれません。
私の指揮の先生である橋本先生は「西洋音楽をやるには、西洋の歴史や文化や言語なども知っていないといけません」とおっしゃっていましたが、全くその通りだと思います。
因に、譜面台の足も3本ですし、丸いピアノ椅子も足は3本。ピアノも足は3本ですね。
そしてこれは偶然ではないと思いますが、私たちが今やっているベートーヴェンの交響曲3番は、3拍子で始まります。音楽史上の奇跡と言われるこの曲には恐らくいっぱい解き明かさなければならない、ミステリーが詰まっていると思います。
これは分からない人にはミステリーである事すら分からないと思います。13ヶ月後にいっぱい謎を見つけてその謎解きが出来ていると楽しいですね。

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理屈っぽさと頑固さと思いこみと

今日は自戒の念をこめて「こういう音楽家は大成しない」というテーマでお送りしましょう(笑)。
音楽家で大成する人の条件というのはいっぱいあると思います。練習熱心で、柔軟な思考を持ち、広く興味を持ち、豊かな感受性を持ち、少しエロな事(笑)。
逆にアマオケの奏者に散見される大成出来ない音楽家というのはある一定の特徴があるように感じます(以下あくまでも私のことです、誰か、のことではありません、念のため)。
まずは、理屈っぽい人。確かに音楽というのは相当論理的ですし、言葉ではないが故にその感性を理屈で説明して「納得したい」というのはあると思います。しかしこれって正解でしょうか?
理屈というのはあくまでも「現象を説明したもの」でしかないと思うんです。バッハ以前の音楽家は音楽理論なんて知っていたでしょうか?でもそれでも素晴らしい音楽を残した作曲家は何人もいますよね?
ジャズの演奏家でもそういう人はいっぱいいます。理論や理屈というのはあくまでも「事象を説明」するものだ、ということは忘れないでいたいものです。
次に頑固な人。自分のやり方を絶対に曲げない人。人の意見を「試すこと」を拒否する人。こういう指揮者はいやですねぇ(苦笑)。私のオケでは相当奇抜なことを要求しますし、変わった練習もすると思います。
逆に私の言うことが絶対!というオケではないので、楽団員からの提案は柔軟にやってみようと思っています。
それにちょっと似ていますが「音楽とはこういうものだ」とか「音楽はこうあるべきだ」という浅はかな「思いこみ」を持った人も大成しないと思いますし、少なくともうちのオケには合わないと思います。
勿論音楽ですから、自己主張は必要です。しかし自己主張も他人の意見を入れないのであれば、それは単なる我が儘です。
私は思うんです。自分の音楽に自信や信念を持っていればいるほど「他の人の音楽を認められる」と思うんです。音楽には正解はないんです。であれば、より優れた音楽家というのは「多くの音楽を知っていて」それでいて「自分の音楽を実現出来る人」なのではないでしょうか?
皆さんはどう思います?

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