楽譜の解釈

962f6a79.jpg今日は後半の1時間「旅路」という曲をみっちり練習しました。小田倉光司さんというアマチュアの作曲家の方の曲なのでご存知の人は全くいないわけです。
通常我々が読んでいる楽譜は100年とか200年とか300年前に書かれたものを読んでいて、当然のことですが、その楽譜を書いた作曲家の先生は既に鬼籍に入られているわけです。
「この部分なんですが、私はこういう風に思うんですが、どうですか?」
……。
楽譜にいくら語りかけても、返事は返ってきません。
いや、これは正直に言うと、楽譜から答えが返ってくる時もあるんです!閃きのようにと言うか天の声と言うか。でも、それは私の勝手な思い込みかも知れません。
しかし「旅路」という曲については目の前に先生がいらっしゃるわけで、「ここはこうですか?」と聞けば、「そうです」とか「違います」と答えが明確に返ってくるわけです。
楽譜を読み取る、ということの楽しさは「解釈」にあるわけです。
「Andante」と書かれた時に、このアンダンテがどれくらいの早さなのか?音楽の教科書には「歩くような速さで」と書かれていて、おせっかいなものには♩=76~108なんて書かれています。
全くの嘘っぱちです。ひどいにもほどがあります(怒)。
私は歩くのが速いので、私のアンダンテは当然速いです。♩=76なんていったってこれよりももっとゆっくり歩く人はいっぱいいます。だいたい、誰がこれを人間のアンダンテと定義づけたんでしょう?
亀のアンダンテならもっと遅いはず!
こういうことに柔軟に頭が回らない人は楽譜を読む力がないんだと私は思います。
逆に言えば、作曲家は言いたいことをすべて楽譜にかけるわけではないわけです。いろんなニュアンスは絶対に楽譜には書ききれるものではないわけです。
だからこそ、楽譜を読むという能力が音楽家には必要なのだし、それを知っているが故に、直接音楽家に質問が出来るということの素晴らしさを味わうことが出来るんだと思います。
そう思いませんか?

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About NO Masaharu

元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。

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