コンサートマスターの憂鬱

昨日の文吹の演奏会を最後に、約2年一緒に演奏して来た首席コンサートマスターが退団されました。
彼のことばをちょっとだけ紹介すると、プロの力を借りずにレベルアップをする事に限界を感じたのだそうです。
どういう事だと思いますか?
彼はうちの楽団のコンサートマスターでしたが、自分で望んでそうなったわけではないわけです。
当時うちの楽団にはコンサートマスターがおりましたが、彼は学業が忙しくなかなか毎週土曜日に練習に参加する事は出来ませんでした。しかし音大生だったという事もあり、私はそれを承知の上でコンサートマスターをお願いしました。
しかし、本来コンサートマスターが練習にいないというのはあり得ない事だし、あっちゃいけない事だと私は思います。
そんな状況を見かねた、彼が「なんとかしましょう」と声をかけてくれたので、これ幸いにその彼にコンサートマスターをお願いしたんです。
彼だって一奏者として、気楽に座っている方が趣味のアマチュアオーケストラを楽しめたはずです。しかし、コンサートマスターに就任した事により、出席の義務感を感じるようになり、逆に毎週は出て来ない弦楽器奏者になんとか分かりやすく指導して、楽団のレベルを上げていくかに心を砕かなくてはならないわけです。
いい加減な気持ちではこの役割は引き受けられないし、真面目であるが故に苦悩は深まるばかりです。
うちの楽団は特にヴァイオリンは奏者のレベルの差が激しいですし、その大半は他所のオケでは入団させてもらえないくらい低いわけです。そういう人を受け入れていく楽団であるが故に、弦楽器を引っ張っていく人達は苦労するんです。
なかなか言っても伝わらない。楽譜に書いてと言っても書いてくれない。先週できた事が今週出来なくなっている。毎週練習には来てくれないから、同じことを何回もみんなの前で言わなくてはならない。
そういうもどかしさの中、自分は自分の時間や予定を削ってまで練習に来てくれているんです。
そういうコンサートマスターに感謝をしてもし足りないはずだとおもいますが、違いますか?
私はこれではいけないと思っています。
私は指揮者として同じような思いをもっていますが、私はいいんです。好きで始めた楽団ですから。
でも例えばもう一人のコンサートマスターや弦練や管練を見てくれている人が、いま、楽しんで練習に来ていると思えるでしょうか?私は思いません。
そして、そういう一生懸命楽団のために頑張ってくれている人が楽しんで練習できるような楽団にしなくてはならないと思っています。

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About NO Masaharu

元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。