自由と無責任は違う

私の個人日記の昔のを読んでいたら、前の楽団にいた時にこんな事を書いていました。
■2004/06/17 (木) はき違えた自由
昨日の話の続きになるが、楽団には本当に色んな人がいる。楽団という場を利用して自分のやりたいことだけを実現しようとする人がいるのには驚きだ。
うちの楽団は自然に存在するわけではない。多くの人の善意と努力と時間とお金の上に成り立っている。ジョン・F・ケネディがこう言っている、「国が何をしてくれるか、ではなく、国に対して何が出来るかを考えて欲しい」。
まさに同じ事をいいたい。楽団が与えてくれるものは音楽の喜びだ。然しそれはただ黙って座っていても降ってくるものではない。うちの楽団は他の音楽団体とは違い、相当に自由度が高い。しかしその自由をはき違えて、自分の無責任を「自由」だとはき違える人がいる。
自由と無責任は意味が違う。楽団に何も貢献していないのに、自由を主張するのも間違っている。時間的、社会的に楽団には貢献出来ない人がいる。楽団の仕事までは負担出来ない人がいる。そういう人はせめて練習にでてきて音楽をやることはすべきだろう。
練習に出てくることで最低限の責任を果たせるのに、それすらしないで、何の権利を主張するというのだろう?私には甚だ疑問だ。
うちは練習に来るのは自由だ。来ないのも自由だ。しかしそれが故に責任が果たせないのだということはしっかり認識すべきだろう。これが思い違いではなく、楽団の押しつけなのだ思うのだとしたら、その人は社会科の授業を受け直して、「義務と権利」について勉強し直すべきだろう。

5年前の私の書いた文章で、この「オーケストラ」というのも前に所属していたオーケストラの事なんですが、
1)5年前と今と同じ事を私が思っている。
2)つまりどこのオーケストラでも似たような状況なのだ。
という2つの点で驚き、ちょっとがっかりしました(号泣)。
ただ、この時ほど今の状況は切迫しているわけではないし、練習を休む人が多いという事以外で、楽団を利用しようとしている人がいない点で、うちの楽団の方が数段人間性に優れてはいますがね。
この文章を読んで、みんなが自分に何が出来るか、考えてくれればうちの楽団はもっともっと成長できると思うんだけどなぁ。

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About NO Masaharu

元々トロンボーン吹きですが、棒振りです。好きな作曲家はベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーです。 ビールと餃子とカレーが大好きです。